目の前の仕事に精一杯のあなた。
気付いたら日付が変わっていて「もう寝ないと…」となっているあなた。
「もう朝か」と毎日ムチを打ってなんとか起きて仕事に行っているあなた。
そして、もう限界を迎えてしまったあなた。
あの頃の自分に向けて、あの頃とは変わった今の価値観や思い、
そう思えるようになった経緯について記していこうと思う。
あの頃の自分へのメッセージが
こんな普通の人間のメッセージが
たまたま”あなた”の心を軽くできたら
それ以上の喜びはありません。
あの頃の自分の日常
私は、日本のとある高校で教員をしていた。
朝起きて、仕事へ行き、帰ってきては疲れ果てて自分の時間なんて持てず、
また次の日が来る。その繰り返しだった。
仕事のことが頭から離れず、休みの日も「やらなきゃいけないこと」に頭が追われていた。
金曜日の夜も、土曜は部活で朝が早いからと気落ちを切り替えることができず、
日曜日はただただ取れない疲れを癒すだけで終わる。
そんな生活だった。
「このままずっとこうなのかな」
ふとした瞬間にそう思うことは何度も何度もあった。
けれど、5分後に始まる授業をした後には、そんなことを思い返す時間もなく業務に追われ
帰宅後に何か行動する元気なんてのは残念ながら残っておらず
結果的に気持ちにフタをしてしまったまま日々を過ごしていた。
でも、心と体は正直だった。
ある金曜日の午後、急に頭が回らなくなり、何も考えられなくなった。
2時間の休みを取って帰宅。
月曜日の朝、ついに職場に向かうことができなくなってしまった。
あの時の私は、自分がどれだけ無理をしていたかに
全く気付いていなかった。
立ち止まったからこそ気付いたこと
その日から私は病気休暇を取得することになった。
それを「立ち止まった」と表現できるようになったのはほんの最近で、
仕事を休むことになった最初の頃は
「自分はだめな人間だ」「職場の人に迷惑をかけてしまった」
という気持ちが大きく、
「立ち止まった」という実感はなかった。
休み始めた頃はもう、何もできない状態だった。
何かをしようという気にもなれなかった。
朝は起きる気力がなく、昼になっても布団の中。
スマホを触る気も起きないし、テレビをつけても何も頭に入ってこない。
食欲もなく、何かを食べても美味しくない。
本を読んでも文字の意味が入ってこない。
音楽を流しても、”ただ音が鳴っているだけ”のように感じた。
「時間がたっぷりある」のに、何もする気が起きないし、
何かをしても心が反応しない。
今思えば、それは「立ち止まるしかない」と身体が訴えていたのかもしれない。
ここから数ヶ月そんな生活が続いた。
ただ毎日寝て起きて、生きているだけ。
でも、ほんの少しずつ、心が動く瞬間がでてきた。
朝、ふとカーテンを開けた時に、「天気がいいな」と感じた。
こんな風に外をゆっくり眺めたのも、いつぶりだろうか。
何気なく外に出てみた時、「空気が気持ちよく」感じた。
こんな気持ちよかったっけ。
食べたいものが出てきた。遠くに出かけたくなった。
本が少しずつ読めるようになってきたのはとても楽しかった。
その一つ一つが自分にとっては最高に幸せなことなんだと
自分が本当に大事にしたいことなんだと
気付くことができた。
そんな些細なこと。
当たり前のことかもしれないこと。
でも、こんなちっちゃな幸せにすら気づけないくらい
感じとる余裕がなくなるくらい
限界の日々を送っていたんだと気付かされた。
心も時間も余裕がない中で、
感じ取れなくなっていた感覚を取り戻せてきたこと、
それを小さな幸せと思えるようになったことが
自分にとっては止まっていた時間が動き出したようだった。
あの頃の自分へ
あの頃の自分に、そしてメッセージを送りたい。
まず、立ち止まることは悪いことではないよ。
休むことも怖がらなくていい。
今は何もできなくていいんだ。
だから
過去の自分のことは責めないであげて。
なんでこんな仕事を選んだんだろうとか
もっと上手く働けたんじゃないかとか
思うかもしれないけど
「これが自分のベストだったんだ」
今はそう思えているよ。
だから、もう自分を責めないであげてね。
今、家族には正直にありのままを伝えられずにいるね。
伝えるのは辛かったけど、結果的には伝えてよかったよ。
親しい友人には伝えて、程よい距離感で接してくれたよ。
未来の自分は、今回のことをゆっくりゆっくり噛み砕いて
自分の糧としながら、きちんと前を向いて歩いているよ。
結果的に転職をしたけども、
その職場で働いたことは決して無駄ではなかったよ。
あの頃と比べたらかなり、
「暮らしている実感」
を毎日感じているよ。
だから、
最初は何にも希望を感じられない生活で苦しいとは思うけれど、
今は「生きる」ことだけをしてほしい。
それだけで十分だよ。
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